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高学歴の世界の人の残酷さと無自覚さ

 

 

anond.hatelabo.jp

FBで回ってきて、先ほど読んだ。とても面白かった。私はたぶん高学歴の人間だが、今まで漠然と理解できなかったことが理解できた気がする。というのも、うちのかみさんは低学歴側の人間で、子育ての方針について意見が割れるのはおそらく「この壁」であることがわかったからだ。

私は生まれが東京で、その後埼玉に引っ越し、神奈川の海よりの町で少年時代を過ごした。埼玉の方言もけっこう激しかったが、神奈川も横浜を超えると、けっこう方言がすごい。引っ越してきた当時は、女の子が文末に「するべ~」と話すのを聞いてカルチャーショックを受けた。

中学までは公立だったが、学校自体はいたって普通だった気がする。それほど不良が多かったわけでもないし、むしろ小学校の方がいじめは酷かった。私は今で言うオタクグループに所属していたので、「桐島、部活やめるんだってよ」の主人公の立場がなんだかよくわかる。確かにスクールカーストとしては上じゃなかったが、今から考えれば雑草のように目立たず、育っていた。中学時代は正直いい思いがない。背は高かったが、見目もよくなかったので、とにかくもてなかった。本当にもてたかったなあ。

そもそも自分でいろいろ決めるのが苦手で、両親が教育熱心だったこともあり、真面目に塾に行き、高校は進学校に進めた。自分の人生では、ここが大きな転機だったのだろう。というのも、周りの人間も高校の進学で、その後の人生や人間関係が大きく変わったからだ。前出のブログにあったようないわゆる底辺校の荒れ方はすごかったらしい。気弱な私は繁華街にあまり足を踏み入れなかったし、そもそも通学路から外れていた。とはいえ、荒れた高校の生徒は見てきたので、よく絡まれなかったなあと思う。

そして、大学も私立の一流校。ただ、一浪して合格しなかったら、話は違っていただろう。ただ、4年のときに就職活動はせず、アルバイトに入ったのが今の会社だ。それからすでに20年近く今の会社。不思議な感じがする。

さて、こうして10代を振り返ってみると、高学歴の世界の自分は何度か「低学歴の世界」に接してきた気がするのだ。小学校のときの友人はやたらガンプラを買ってもらっているのに、汚い公団に住んでいた。高校のとき、麻雀をやりに行った友達のうちは、広い離れがあり、マンガが並んでいたが、何年も浪人を重ねて、引きこもっていた。

一番、印象的だったのは、アルバイトで家庭教師をしたときにいった戸塚の公団。すごく狭く、汚いうちに家族4人が暮らしているのだが、兄の公立高校受験のためにわざわざ家庭教師を雇ったのだ。結局、公立高校に合格できなかったので、自分の人生の中では相当な汚点なのだが、今から考えれば両親が低学歴の世界から逃れたいと考えたのだろう。本当に申し訳ないとしか言いようがない。

別の観点で印象的だったのが、神戸の震災の時にボランティアで行った西宮市だ。当時、大学生だった私だが、純粋なボランティア精神で行っている人たちも多かったが、駆け落ちしてボランティアの宿泊所で寝泊まりしているカップルやどう考えても理不尽な喧嘩をふっかけてくる不良などもいた。震災というのもあったのだが、とにかく町全体に下層感があり、驚いた。

ここまでの文章を読んで、低学歴の世界にいると自覚している人はかなり上から目線な言い方に「かちん」としているかもしれない。それに関しては申し訳ないとしか言いようがないのだが、高学歴の世界ってそういう残酷さ、無自覚さがある。

冒頭のブログに「高学歴の世界の連中って、悪びれる風もなく、「学校なんて行かないでいいと思っている」なんて言うんだよね」といった風情のコメントに私は相当ハッとしている。まさにかみさんと子供の教育について話すときの自分だ。そして、自分はそれに対して、恐ろしく無自覚だったことに気がつく。

個人的には、学歴の壁より、東京と地方(都内近郊を含む)の壁を感じる。私の田舎では、そもそも私立は頭の足りない人がお金で行くモノだった。しかし、都内では私立は頭のよい女子の行くモノだ。自宅を取っ払ってしまったので、もはや神奈川には縁もゆかりもないのだが、地元には戻りたくない。その点、勝手に中学時代の人間から見つけられるFacebookはとても厄介だ。助けてくれるのも仲間だが、足を引っ張るのも仲間というのはまったく当たっている。

なんだかまとまらないなあ。