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グッドバイ

インタビューをきっかけに仲良くなった福岡の友人が先日亡くなった。たぶんまだ30代だ。梅雨明けしそうな東京の夏空を見ながら、頭の中ではサカナクションの「グッドバイ」がずっと流れている。


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彼と知り合ったのはもう4年も前で、九州出張の際に取材したのがきっかけだ。東京でITスタートアップのCTOをしていたとは思えないくらいソフトな人柄で、できあがった記事をとても喜んでくれた。その後、自らの望む未来を目指して転職し、「あの記事がきっかけで自分の人生が変わったんだ」とすら言ってくれた。人なつこい彼は、新しいことがあるたびに福岡からふらっとメッセージを寄こしてくれた。こちらも何回か彼を取材したし、福岡に行くたびにいっしょにご飯食べたり、福岡行く目的の1つは彼と会うことだった。その後も折に触れ、ご飯を食べたり、取材したりで、いるのが当たり前だった。

 

訃報が届いたのは金曜日の昼前。メッセージを読んで、息が止まった。思わず「ウソでしょ」と言ってしまうのだが、訃報とはそんなに簡単に冗談のように作られるものではない。嫌なことが起こると人間は脊髄反射的に否定にかかるのだ。そんなもんだ。人が死ぬことに準備できてる人なんてそんなにいない。まして彼のようにまだ若人であれば。

 

なんとか午後の取材に向けて、記事を仕上げにかかり、ささっと出かける。人間は習慣の動物なので、秋葉原でランチを食べるのだが、牛めしに涙が落ちる。なんとか、取材を済ませ、打ち合わせを済ませ、家に帰って夕食を食べ、お風呂に入って、ようやく記事を読み返して、彼を悼むことができた。

 

家族や同僚の悲しみはいかばかりかと思うが、亡くなった彼は戻ってこない。そして訃報を聞いて一週間経ち、私の彼の死を思い出す時間も短くなり、おそらくWebページの生涯PVのように悲しみはロングテールで消費されていくに違いない。どんなに親しい人の死であっても。齢50近くになるとそんなことわきってるけど、たまんないよな。

 

悲しみや怒り、放心、あきらめ、いろんな感情がグルグルしてるし、彼の周りにいるみなさんのことも心配してるんだけど、最後は感謝の心に行き着いた。出会えてよかった。本当にありがとう。どうぞ安らかに。